世界大百科事典(旧版)内のビクラマシラーの言及
【寺院】より
…この状況は5~7世紀の報告から知られるが,学ぶ者の数は1万,教授者は4500と7世紀の玄奘は報じている。その他,西部インドのバラビー,少し時代が下るが,ベンガルのビクラマシラーや,オリッサのオダンタプリなどが,同種の大寺院として知られている。【高崎 直道】
[中国]
寺とは官舎の意で,初めて西域から来た僧が官舎に仮住まいしたことから,僧の住居をも寺と呼ぶようになったといわれる。…
【パーラ・セーナ朝美術】より
…大乗仏教が民間信仰を取り入れて密教(金剛乗)として新しい展開を遂げたのもこの時代である。ボードガヤー,サールナート,ナーランダーなどの伽藍は増改築され,オーダンタプリーOdantapurī(古名ウッダンダプラ),ビクラマシラーVikramaśilā,パハールプル(古名ソーマプラ)などの伽藍が新しく造営された。これらの広壮な学問寺にはインドのみならず,東南アジアからも多くの修行僧が集まった。…
【仏教】より
…密教の隆盛はしかし,仏教をヒンドゥー教とあまり差異のないものとした。13世紀初め,東ベンガルの教団根拠地であったビクラマシラー寺院がイスラムの軍隊に蹂躙(じゆうりん)されたのを最後に,教団は壊滅し,頭を失った仏教はヒンドゥー教の中に溶けこみ,吸収されてしまった。しかし,後期インド仏教の主張するところは,関係経論のチベット訳とともに,チベットの教団によって正しく継承されて,今日に至っている。…
※「ビクラマシラー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」