世界大百科事典(旧版)内のビゴ,J.の言及
【フランス映画】より
…同じころパリでは〈芝居の神さま〉といわれたブールバール劇の作者であり演出家であり俳優であるサッシャ・ギトリーも自作の戯曲を次々に映画化し,《とらんぷ譚》(1936),《王冠の真珠》(1937)等々で徹底的な話術,〈語り〉の芸で映画に新形式をもちこみ(のちにオーソン・ウェルズに強い影響を与えた),パニョルとともに,フランス映画史に特異な地位を占めるに至った。
[戦前の4巨匠と詩的リアリズム]
〈アバンギャルド〉のドキュメンタリー映画《ニースについて》(1930)から出発し,戦後まで公開禁止になった〈スキャンダラスな〉短編劇映画《新学期・操行ゼロ》(1932),次いで唯一の長編《アタラント号》(1934)を残して,〈天才詩人〉と呼ばれて期待されたジャン・ビゴが29歳で死んだ1934年から,フランス映画はようやく〈暗黒時代〉から抜け出て,新しい時代を迎えることになる。フェデル監督《外人部隊》(1934),《ミモザ館》《女だけの都》(ともに1935)から始まる30年代のフランス映画の〈自然主義〉的傾向は,フェデルの弟子のマルセル・カルネ(1909‐96。…
※「ビゴ,J.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」