ビシネフスキー,V.V.(読み)びしねふすきー

世界大百科事典(旧版)内のビシネフスキー,V.V.の言及

【ロシア・ソビエト演劇】より

…またこのころ児童演劇の専門家ブリャーンツェフAleksandr Aleksandrovich Bryantsev(1883‐1961)やサッツNatal’ya Il’inichna Sats(1903‐93)らにより各地に児童劇場が創設され,今日の充実したソビエト児童演劇の礎となった。 1930年代はゴーリキーの新作《エゴール・ブルイチョフとその他の人々》(1931)で始まり,若手劇作家ポゴージン,ビシネフスキーVsevolod Vital’evich Vishnevskii(1900‐51),アフィノゲーノフ,コルネイチュークらも社会主義建設にいそしむ青年像を生き生きと描き,どれも新鮮な舞台作品となった。E.L.シュワルツ,オレーシャ,ファイコAleksei Mikhailovich Faiko(1893‐1978)らも独自なスタイルで劇作を始めた。…

※「ビシネフスキー,V.V.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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