世界大百科事典(旧版)内のビシネベツキー,D.I.の言及
【ウクライナ】より
…すでに15世紀からステップ地帯にはポーランド,リトアニアからの逃亡農民を中心にウクライナ人コサックの集団が形成され,先住コサックであるタタール人コサックと競合かつタタール化しつつしだいに軍事集団として成長し,クリム・ハーン国最大の奴隷市場のあったカーファ(現,フェオドシア)をはじめとする都市攻撃を敢行していた。1550年ころリトアニア貴族出身のD.I.ビシネベツキー(?‐1564)はドニエプル川の中洲のホルティツァに要塞を建設してコサックの本営(シーチ)とした。彼らはザポロージエ(〈早瀬porogiの向こう〉の意)のコサックと呼ばれた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」