世界大百科事典(旧版)内のビシャープール宮殿址の言及
【ササン朝美術】より
…イラン高原とユーフラテス川以東のメソポタミア平原を主として支配したササン朝ペルシアは,帝王の絶対的権威とゾロアスター教を国家統一の精神的基盤とした。ササン朝美術は,宗教と一体となった帝王の権威を誇示することを目的としたもの,ないしは帝王を中心とする宮廷貴族文化に関係したものが大半を占める。ササン朝美術の形成にあたりアケメネス朝美術の伝統をふまえ,前代のパルティア美術,同時代のローマ,ビザンティン美術の摂取総合がなされた。…
※「ビシャープール宮殿址」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」