世界大百科事典(旧版)内のビリリョフ,A.A.の言及
【ロシア軍艦対馬占領事件】より
…1861年(文久1)2月ロシア軍艦ポサドニック号が船体修理を理由に対馬浅茅(あそう)湾の尾崎に停泊,付近を測量し,3月芋崎に永住施設を建設して居座った。対馬藩の抗議に対し艦長ビリリョフは芋崎付近の租借権を強請,藩民との紛争も絶えなかった。幕府は5月外国奉行小栗忠順(ただまさ)を派遣したが効果なく,6月藩は幕府に移封願を提出した。…
※「ビリリョフ,A.A.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」