ビロン,E.J.(読み)びろん

世界大百科事典(旧版)内のビロン,E.J.の言及

【アンナ・イワノブナ】より

…即位の際,名門貴族D.M.ゴリーツィンなど最高枢密院の提示した君主権制限の条件を認めたが,一般貴族の支持ですぐこれを廃棄し,彼らのために一子相続制を廃し,土地所有権を強め,貴族子弟の陸軍幼年学校を設け,勤務条件を緩和した。女帝はあまり教養がなく,国務への関心も少なく,クールランド時代からの寵臣ビロンErnst Johann Bironが権勢をふるったが(いわゆる“ビロン体制”),女帝の政治を実質上担って功績があったのは,オステルマン伯Andrei Ivanovich Ostermanとミュンニヒ元帥Burkhard Christoph Münnichであった。2人ともドイツ人であったが,ピョートル1世に仕えた外交官・軍人であり,女帝の時代を“ドイツ人の支配”と特徴づけることには問題がある。…

【ロシア帝国】より

…この間,貴族の党派争いからしばしば宮廷革命が起こり,そのさい貴族からなる近衛連隊が重要な役割を果たした。エカチェリナ1世(在位1725‐27)とピョートル2世(在位1727‐30)のもとではメンシコフAleksandr D.Menshikov(1768‐1831)が権力をふるい,アンナ・イワーノブナの代には,初め名門の貴族たちが,君主権の大幅な制限を試みて失敗し,やがてビロンErnest I.Biron(1690‐1772)などのバルト地方出身のドイツ人が実権を握った。次いでこれに対する不満がイワン6世(在位1740‐41)のもとで爆発し,エリザベータが即位した。…

※「ビロン,E.J.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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