《ビーラー・ホラの後継者たち》(読み)びーらーほらのこうけいしゃたち

世界大百科事典(旧版)内の《ビーラー・ホラの後継者たち》の言及

【ドボルジャーク】より

…モルダウ河畔の寒村の宿屋兼肉屋の長男として生まれ,父親の意志に逆らって16歳の年プラハに出,オルガン学校を苦学して卒業。20歳の1861年から室内楽の大曲を,65年から交響曲を書き始め,73年愛国的な混声合唱と管弦楽のための賛歌《ビーラー・ホラの後継者たち》(1872)で新進作曲家として認められる。その間ビオラ奏者やオルガン奏者をして食いつないでいたが,75年から5年間連続して当時の宗主国オーストリアの政府が若い芸術家に出していた奨学金を得,作曲に専念できるようになった。…

※「《ビーラー・ホラの後継者たち》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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