ピエトロアサ(読み)ぴえとろあさ

世界大百科事典(旧版)内のピエトロアサの言及

【ルーマニア】より

…アダムクリシAdamclissi村近くにあるトラヤヌスの勝利を記念したモニュメントの跡はこの時期のもので,多くの浮彫や銘文が残っている。その後の民族移動期の作品として,1837年ピエトロアサPietroasaで発見された22の金工品は4世紀のゴート人の手になるものと考えられている。1779年シニコラウル・マレSînnicolaul Mare出土の金工品(当時ハンガリー領で,ハンガリー語の地名をとって,〈ナジセントミクローシュNagyszentmiklósの遺宝〉としてウィーン美術史美術館蔵)は,9~10世紀のものではあろうが,ハンガリー人の移動・定着の混乱期の作品であり,ササン朝やイスラムのモティーフをも含むことから,どの民族の制作になるかは,意見が分かれている。…

※「ピエトロアサ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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