世界大百科事典(旧版)内のピプラーフワーの言及
【カピラバストゥ】より
…釈尊生誕の国の名で,シャーキャ(釈迦)族の領土であった。〈カピラ〉はサーンキヤ(数論)学派の伝説的祖の名で〈バストゥ〉は住所を意味し,〈黄頭仙人住処〉と訳す。また迦毘羅衛(迦惟羅越)(かぴらえ)と音写される。釈尊晩年にはシュラーバスティー(舎衛国)に滅ぼされて衰亡した。5世紀に中国僧の法顕が訪れたときには,家も数十あまりという荒廃ぶりであった(《法顕伝》)。近年,発掘等によってネパール中南部のティラウラーコートや北インドのネパール国境近くウッタル・プラデーシュ州バスティ県のピプラーワーの両遺跡がカピラバストゥと推定されてきたが,最近では発掘された舎利容器銘文などにより,後者が有力視されている。…
【舎利容器】より
…インドでは舎利崇拝に伴ってアショーカ王の八万四千塔,カニシカ王の大塔など造塔がきわめてさかんであり,舎利容器も無数に作られた。インド最古の舎利容器は北部のピプラーフワー塔跡出土のもので,石櫃,滑石製壺,水晶小壺などが納置されていたという。これは前3世紀代のものである。…
※「ピプラーフワー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」