世界大百科事典(旧版)内のファランステールの言及
【フーリエ】より
…1808年に最初の大著《四運動および一般運命の理論》を世に問い,尖鋭な社会・経済批判,壮大かつ奇抜な宇宙・社会進化論,斬新・精密な推察にもとづくユートピア的世界の構想等々を展開するが,黙殺される。しかし,〈ファランステールphalanstère〉と称する共同体住居の設置による新社会構築の計画をあきらめることなく,22年には最大の著作《家庭・農業組合概論》を,29年には《産業・組合新世界》を発表し,篤志ある資産家たちへの空しい呼びかけを繰り返す。晩年にはP.V.コンシデランら弟子を自称する人々があらわれ,〈フーリエ主義Fouriérisme〉運動が創始されるが,フーリエ自身は彼らにも自説が十分に理解されていないことを自覚しつつ,不遇のままパリで没した。…
【ユートピア】より
…É.カベはユートピア論《イカリア旅行記》(1840)を著すとともに,アメリカに〈ノーボーNauvoo〉と呼ばれる理想郷を建設すべく運動を興した。こののち《四運動の理論》(1808)などでさらに幻想的な世界調和の哲学を創案したフーリエは〈ファランステールphalanstère〉なる共同体住居の設置によるユートピア社会実現のなかに人類の理想達成の夢を託した。これらは一面では技術と産業の発達の成果にもとづきつつも,精神的な共同志向をもち,教育による小規模な協同社会の創出を必須とみなしている。…
※「ファランステール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」