世界大百科事典(旧版)内のファン・カンペン,J.の言及
【オランダ】より
…絵画においては19世紀末にゴッホ,20世紀にバン・ドンゲンVan Dongenがフランスで,モンドリアンがアメリカで活躍した。 建築では,17世紀にファン・カンペンがアムステルダム市庁舎,ハーグのマウリッツハイスを残し,19世紀後半のカイペルスはネオ・ゴシック様式のアムステルダム国立美術館,アムステルダム中央駅を建て,20世紀になってベルラーヘはアムステルダムの株式取引所の設計で合理的な近代性を追求した。戦間期の〈デ・ステイル〉グループは画家のモンドリアン,ファン・ドゥースブルフも加え,アウト,リートフェルトらが幾何学的形態と明確な空間の創造を唱え,国際的反響を呼んだ。…
【オランダ美術】より
…職人的建築家の最後の代表者デ・ケイセルは教会をはじめとする公共建築と住宅の設計によってアムステルダムの先進的都市計画に多大な貢献をする一方,彫刻家としても17世紀を代表する傑作〈ウィレム沈黙公墓廟〉(1618ころ)を残した。1630年代にはいると,ファン・カンペンの登場によって古典主義が一挙に主導権を獲得する。彼の代表作はマウリッツハイス(1633ころ設計。…
※「ファン・カンペン,J.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」