フィラーリー朝(読み)ふぃらーりーちょう

世界大百科事典(旧版)内のフィラーリー朝の言及

【アラウィー朝】より

…モロッコの現王朝。1631年以降。フィラーリーFilālī(ターフィーラールトTāfīlālt出身者の意)朝,フィラール朝ともよぶ。王家の先祖は13世紀末,アラビア半島からモロッコ南部のターフィーラールト地方に来住したアラブ系の一族で,預言者ムハンマドの孫ハサンの血を引くシャリーフ(〈高貴な血筋の人〉の意)を主張する。聖者崇拝思想の発展とポルトガルやスペインに対する排外的なジハード(聖戦)意識の高揚を土台に,ムハンマド・アッシャリーフをスルタンとしてターフィーラールトに建国(1631),40年には,アラウィー家のムハンマド・ブン・ムハンマドは,周辺地域を含む王とみとめられた。…

※「フィラーリー朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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