世界大百科事典(旧版)内のフィラール朝の言及
【アラウィー朝】より
…1631年以降。フィラーリーFilālī(ターフィーラールトTāfīlālt出身者の意)朝,フィラール朝ともよぶ。王家の先祖は13世紀末,アラビア半島からモロッコ南部のターフィーラールト地方に来住したアラブ系の一族で,預言者ムハンマドの孫ハサンの血を引くシャリーフ(〈高貴な血筋の人〉の意)を主張する。…
【マグリブ】より
…すなわち,アルジェリアは1671年からデイと呼ばれる軍人の太守が統治,チュニジアは,ムラード朝(1613‐1705)とフサイン朝(1705‐1958)の成立,リビアは,トルコ系軍人と現地人との間の子を意味するクルグリKulghli人によるカラマンリーQaramanlī朝(1711‐1835)の成立を見た。一方,モロッコはシャリーフによるサードSa‘d朝(1549‐1659),アラウィー朝(フィラール朝。1631‐)の建国によってスペインやポルトガルの侵攻を撃退して独立を保った。…
※「フィラール朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」