フェルナンド・デ・アンテケーラ(読み)ふぇるなんどであんてけーら

世界大百科事典(旧版)内のフェルナンド・デ・アンテケーラの言及

【トラスタマラ朝】より

…1369年初頭,カスティリャ王アルフォンソ11世の庶子でトラスタマラ伯エンリケは,父王を継いだ嫡子ペドロ1世をその手で刺殺,エンリケ2世Enrique IIとして王位に就き,新たにトラスタマラ朝を開いた。1410年,マルティン1世の死によってアラゴン連合王国は王家が断絶,12年にカスペCaspeで開かれた代表者会議は,カスティリャ王フアン1世の王子で通称フェルナンド・デ・アンテケーラFernando de Antequera(フェルナンド1世)を新王に選出した。こうしてカスティリャとアラゴン連合王国は同一王朝の統治下に入ったが,このことは約半世紀後のカトリック両王による両国の連合成立を促す要素のひとつとなった。…

※「フェルナンド・デ・アンテケーラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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