世界大百科事典(旧版)内のフェレール,F.の言及
【スペイン】より
…この事件の根底には,富裕階級の子弟が金銭により徴兵を逃れていたことへの一般大衆の不満が介在していた。さらに,事件の扇動者として逮捕したアナーキストのフランシスコ・フェレールFrancisco Ferrer Guardia(1849‐1909)を処刑したことは,国際的な抗議行動を沸き上がらせた。国内外の反政府運動を前にして,結局マウラは政権の座を降りねばならなかった。…
【マウラ】より
…このためモロッコで反乱が発生し,予備役召集が強化されたため,バルセロナでは〈悲劇の1週間事件〉が起こった。この反政府暴動の主謀者と目されるフランシスコ・フェレールの銃殺は国際的反スペイン運動を招き,マウラは辞職した。12年,国会議員をやめ,保守党党首の座も去ったが,13年,19年,21年の3回にわたり短期間首相を務め,彼の周囲の青年たちの中から後年の保守改革派の指導者が生まれた。…
※「フェレール,F.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」