世界大百科事典(旧版)内のフエロ・ムニシパルの言及
【スペイン法】より
…イスラムの侵攻から国土回復戦争(レコンキスタ)が終了するまでの8世紀間のイベリア半島には,イスラム王国と複数のキリスト教徒の国が併存し,それらが別個に法を形成するが,8~13世紀のキリスト教の諸国では国単位の法は存在せず,都市・村落を単位とする局地法が無数に乱立していた。国土回復戦争の過程で危険の大きい辺境地に住民を吸収するため,王や領主が個別的に与えた入植許可状および各種の特権と地方の慣習法を文書化したフエロ・ムニシパルは局地法の代表的な形態といえる。中世後期には各国とも徐々に統一法形成に向かうが,それを立法によって実現した国とそうでない国とがある。…
【リーベル・ユディキオルム】より
…これら〈ウルガタVulgata〉と呼ばれる写本の中には第1編の前に原本にはなかった序章を置くものもある。ウルガタの一つが13世紀中葉カスティリャでフェルナンド3世の時代にロマンス語に翻訳されフエロ・フスゴFuero juzgoの名でいくつかの都市にフエロ・ムニシパルとして与えられ,現行法としての生命を回復した。【山田 信彦】。…
※「フエロ・ムニシパル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」