世界大百科事典(旧版)内のフォッシー,B.の言及
【ウェスト・サイド物語】より
…スニーカーで跳びはねる若者たちの動きをダイナミックにとらえたカメラワーク,集団による戦闘的なモダン・バレエの躍動をアクション映画に近い方法で追った斬新な試み,セット撮影によるミュージカルコメディの明るさや清潔感に対して,汗とほこりにまみれた現実の人間の生活感をむき出しにしたリアリズム感覚,ドラマや主題を表現するための振付,そしてシリアスな社会的テーマ(人種差別の問題)を描き,監督のスタイルによって振付を寸断,編集を中心につくる等々の点でミュージカルに〈新しい時代〉を開いた。このよきにつけあしきにつけ〈映画的〉な演出はブロードウェー出身の振付師ボブ・フォッシー監督の《スイート・チャリティ》(1968),《キャバレー》(1972),《オール・ザット・ジャズ》(1979)や,テレビ出身のノーマン・ジュイソン監督の《屋根の上のバイオリン弾き》(1971),《ジーザス・クライスト・スーパースター》(1973)等々に引き継がれるとともに,70年代以降のロックミュージカルにとつらなる。《トゥナイト》《マリア》などのヒット曲はすべて舞台のオリジナル曲。…
【ミュージカル映画】より
…ワーナー・ブラザース=セブン・アーツの《キャメロット》(1967),20世紀フォックスの《ドリトル先生不思議な旅》(1967),コロムビアの《ファニー・ガール》(1968),MGMの《チップス先生さようなら》(1969),パラマウントの《ペンチャー・ワゴン》(1969)など,《サウンド・オブ・ミュージック》の成功に追随しようとした〈大作〉はいずれも失敗し,各社に損害を与えた。そして,ミュージカル映画はもはやテレビ面画に生き残るのみとさえいわれた不毛のときに,ブロードウェーの演出家で振付師のボブ・フォッシーBob Fosse(1927‐87)がジュディ・ガーランドとビンセント・ミネリの娘のライザ・ミネリLiza Minnelli(1946‐ )を起用して映画化した《キャバレー》(1972)は,まともな題材をまともに描いた70年代の作品としてミュージカル映画復活のきざしと評された。しかし,その後は,フォッシー監督の自伝的な作品《オール・ザット・ジャズ》(1979)やミロス・フォアマン監督の《ヘアー》(1979)のような話題作が生まれたものの,本来の〈夢をあたえる〉エンタテインメントとしてのミュージカル映画は確実に衰弱しつつある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」