フォン・メック,N.(読み)ふぉんめっく

世界大百科事典(旧版)内のフォン・メック,N.の言及

【チャイコフスキー】より

…プーシキン原作),《バイオリン協奏曲》(1878)と,2~3年の間に数多くの名作を生んだ。かつての教え子ミリューコワとの結婚(1877)は不幸な結果に終わったが,富裕な未亡人N.フォン・メックの年金を受けて,78年からは音楽院を辞職して自由な作曲活動の生活に入った。しかしその後数年間彼の創作力は低迷し苦しんだが,彼の職業的作曲家としての意識は旺盛で,オペラ《オルレアンの少女》(1879)と《マゼッパ》(1883)や三つの《管弦楽組曲》(1879,83,84),《ピアノ協奏曲第2番》(1880)など,勤勉に作曲を続けた。…

※「フォン・メック,N.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」