フサーク,G.(読み)ふさーく

世界大百科事典(旧版)内のフサーク,G.の言及

【チェコスロバキア】より

… こうして自由化運動は失敗し,ソ連軍の駐留も半永久的に認められた。翌69年4月にはドゥプチェクが解任され,G.フサークが後任に選ばれた。彼は改革派を党から追放し,ソ連との関係改善を図って70年に友好相互援助条約を結ぶなど〈正常化〉路線を推進した。…

【チェコスロバキア事件】より

…そして8月20日,ついに軍事介入に踏み切った。改革派に代わってG.フサークが第一書記に就任し,改革派の排除とソ連の関係改善をめざす〈正常化政策〉が推進された。
[ブレジネフ・ドクトリン]
 介入を正当化する根拠としてソ連は,(1)チェコスロバキアの党と国家の活動家たちが武力による援助を含む緊急援助を要請したこと,(2)社会主義的獲得物の擁護はすべての社会主義国家の共通の国際的義務であること,(3)現存の条約上の義務に従って援助の要請に応じたこと,などをあげたが,要請者の名前は公表されなかった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」