フマーユーン廟墓(読み)ふまーゆーんびょうぼ

世界大百科事典(旧版)内のフマーユーン廟墓の言及

【インド美術】より

…それらは大きなドームとアーチを多用し均斉のとれた構成になり,16世紀のムガル朝の出現とともにその様式の完成をみた。デリーのフマーユーン廟墓(1565),アーグラのタージ・マハル廟墓(1652),デリー城,アーグラ城などがその代表例である。
[彫刻]
 彫刻はおもに建築に付属して展開し,石彫が大部分であるが,ほかにスタッコ(塑土),テラコッタ(焼成粘土),ブロンズも用いられた。…

※「フマーユーン廟墓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む