フムリの家(読み)ふむりのいえ

世界大百科事典(旧版)内のフムリの家の言及

【イスラエル王国】より

…オムリはサマリアに王都を定める一方,ユダ王国と平和条約,フェニキア人と通商条約を結んで,北王国に初めて安定した王朝を建てることに成功した。このため,アッシリア資料は,オムリ家が滅亡したのちも,北王国を〈フムリの家〉と呼ぶ。また,アッシリア資料によると,オムリの子アハブは,シリア・パレスティナ地方において,当時最大の兵車隊を持っていた。…

【オムリ】より

…軍の指揮官として,軍の長ジムリの謀反と国内の他の対抗勢力を平定後,モアブを掌中に収め,ユダ王国とは和を講じた。また経済の先進地域フェニキアのテュロスの王イトバアルと通商関係を結び,その娘を息子のアハブにめとらせるなどの手段を通じて,国内の政治,軍事,経済の目覚ましい再編成を行い,オムリ王朝(アッシリアの碑文では〈フムリの家〉)の基礎を築いた。【並木 浩一】。…

※「フムリの家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」