フランシスコ・デ・トレド(読み)ふらんしすこでとれど

世界大百科事典(旧版)内のフランシスコ・デ・トレドの言及

【サルミエント・デ・ガンボア】より

…1555年メキシコに渡り,57年にペルーへ移って,原住民文化を深く知るようになったが,アメリカ滞在中3回異端審問を受けた。ペルー副王フランシスコ・デ・トレドの要請を受け,スペイン人のペルー征服を正当化する目的で《インカ史Historia de los Incas》を著した。79年イギリスの海賊F.ドレークの進路を断つべくマゼラン海峡へ赴いた。…

【ピサロ】より

…スペイン人コンキスタドール(新大陸征服者)。フランシスコ・ピサロの異母弟。兄フランシスコとともにペルーへ渡る。インカ帝国征服後,1540年伝説上の〈ニッケイの国〉を求めて,キトからアンデスを越えてアマゾンの密林へ遠征するが失敗。42年に制定された〈新法〉の実施と初代副王ブラスコ・ヌニェス・ベラの赴任に反対し,コンキスタドールや植民者の権益を守るべく反乱を起こすが,48年,ハキハワナの戦でペドロ・デ・ラ・ガスカ麾下の王室軍に敗れ,処刑された。…

※「フランシスコ・デ・トレド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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