世界大百科事典(旧版)内のフラー,S.の言及
【気狂いピエロ】より
…ゴダール自身も,色彩や画面づくりなどの技術的な面も含めて,この映画をみずからの体験や感覚や記憶のコラージュと定義する。《勝手にしやがれ》のメルビル監督,《女と男のいる舗道》(1962)の哲学者プリス・パラン,《軽蔑》(1963)のフリッツ・ラング監督,《恋人のいる時間》(1964)のロジェ・レーナルト監督に次いで,ゴダールの敬愛するアメリカの映画監督サミュエル・フラー(《最前線物語》など)が特別出演し,〈映画とは戦場のようなものだ。愛,憎しみ,暴力,アクション,死,ひと口にいえば,感動だ〉と語る。…
【スリラー映画】より
…そしてヒッチコックは,展開される物語の時間と映画そのものの時間が一致する《ロープ》(1948)で,それまでの映画のつくり方の常識をひっくり返して全編をワン・カットで撮るという未曾有の実験を試み,スリラー映画流行の一つの頂点を示した。 テレビジョンの脅威にさらされて映画がワイド・スクリーンとカラーの時代を迎えた1950年代は,小さいモノクロのスクリーンになじんできたスリラー映画にとって,ある意味では試行錯誤の時代でもあったが,作家たちはいわばその卑屈なまでの暗い心情から,マッカーシー時代と冷戦下の政治的に緊張した雰囲気に結びついた《拾った女》(サミュエル・フラー監督,1953),《復讐は俺に任せろ》(フリッツ・ラング監督,1954),《キッスで殺せ》(ロバート・アルドリッチ監督,1955)などの傑作を生んだ。ヒッチコックは,1本の映画を1人の人間の視点から撮るという映画的テクニックの極致に挑戦した《裏窓》(1954)に続いて,最初のビスタビジョン・スリラー《泥棒成金》(1955)をつくった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」