《フリゲート艦パルラダ号》(読み)ふりげーとかんぱるらだごう

世界大百科事典(旧版)内の《フリゲート艦パルラダ号》の言及

【ゴンチャロフ】より

…52‐55年にプチャーチン提督の秘書官として世界周航に参加し,53年(嘉永6)長崎に来航。この旅行体験は《フリゲート艦パルラダ号》(1858,部分訳《日本渡航記》)にまとめられた。56年文部省の検閲官に就任し,62年に内務省の機関紙《北方の郵便》の編集長,65年には出版事務総局局員となり,67年に四等官の位で退官した。…

【日本渡航記】より

…ロシアの作家ゴンチャロフの旅行記《フリゲート艦パルラダ号Fregat Pallada》(1858)の部分訳。1852‐55年(嘉永5‐安政2)ゴンチャロフは遣日使節プチャーチン提督の秘書官として世界周航に参加し,1853年長崎に来航した。…

※「《フリゲート艦パルラダ号》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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