世界大百科事典(旧版)内のフリーシー人の言及
【オランダ】より
…
【歴史】
[古代,中世]
オランダは16世紀末に独立するまで,今日のベルギー,ルクセンブルク,北フランスの一部を含むネーデルラントの一部をなし,これらの地方とほぼ共通の歴史をもった。 前1世紀の中葉,ユリウス・カエサルの率いるローマ軍はベルガエ人を破り,ライン川以南の地域を征服して属州ガリア・ベルギカGallia Belgicaとし,さらにライン川を越えて全ネーデルラントを支配しようとしたが,ライン川北方に住むバタウィ人Bataven,カンニネファート人Kanninefaten,フリーシー人Friezenなどのゲルマン系諸部族にさえぎられて成功しなかった。3世紀以降のゲルマン民族大移動期において,フリーシー人は沿岸地域に居住し続け,ザクセン(サクソン)人は北東部からエイセル川の線まで進出し,またフランク人はライン川の南部地方に侵入し,徐々に勢力を拡大した。…
【ドレスタット】より
…ユトレヒトの南東方,ライン,レック両川の分流点に位置。当時活発な商業活動を展開したフリーシー人(フリースラント)による北西ヨーロッパ商業の要衝として7世紀前半に成立し,8世紀中ごろから9世紀後半にかけて繁栄した。9世紀中ごろからたびたびノルマン人に襲われて衰微し,ついに消滅した。…
【フリースラント】より
…数多くの湖と運河で結ばれた11の中世都市をスケートで駆け巡る競技は,冬の年中行事である。
[歴史]
ローマ時代,フリーシー人はローマ帝国の国境であったライン川の外側(右岸)に住み,ドイツのウェーザー川に至るまでの北海沿岸に勢力を拡大し,ドレスタットを中心に旺盛な商業活動を展開した。フランク王国の勢力拡大とともに,フリーシー人の勢力圏の西半分はその影響下に入り,キリスト教化が進んだ。…
※「フリーシー人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」