世界大百科事典(旧版)内のフロンディシ,A.の言及
【アルゼンチン】より
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[ペロン派と反ペロン派の対立]
ペロンの退陣後,ペロン派(ペロニスタ)と反ペロン派との間で熾烈な対立が生まれ,政情は極端に不安定となった。58年にペロニスタの支持を得て民選されたフロンディシArturo Frondizi大統領はペロン派の勢力拡大を恐れる軍部の手で62年に打倒され,66年にはイリヤArturo Illia大統領がほぼ同様な理由から失脚し,オンガニアJuan Carlos Onganía将軍の率いる軍政にとって代わられた。この軍政は,労働者とペロニスタを徹底的に弾圧し,インフレの克服と経済開発を図ったが,部分的にしか成功を収めず,軍政に対する国民の批判が高まるなかで,73年3月民政移管のための選挙が行われた。…
※「フロンディシ,A.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」