《フローラの勝利》(読み)ふろーらのしょうり

世界大百科事典(旧版)内の《フローラの勝利》の言及

【カルポー】より

…この作品によって63年のサロンに初登場。肖像彫刻を多くつくるかたわら,ルーブル宮殿の〈フローラのパビヨン〉のための《フローラの勝利》(1863‐66),オペラ座のための《ダンス》(1869),オプセルバトアールの噴水彫刻《世界の四つの部分》(1867‐72)などの記念碑彫刻をつくる。ナポレオン3世の従姉妹マティルダ王女などの庇護のもとで多くの注文を受けたが,典雅な躍動性,生命感を尊重する彼のバロック的・ロココ的作風は必ずしもアカデミーの受け入れるところではなく,〈フローラのパビヨン〉の装飾の際にも,建築の調和を乱すという理由で建築家との対立を引き起こしている。…

※「《フローラの勝利》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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