世界大百科事典(旧版)内のフーラー・ベイ・カレッジの言及
【フリータウン】より
…1808年にイギリス政府に接収されてシエラレオネ植民地創設の前線基地となり,大西洋上で解放された奴隷の安住の町として発展した。08‐74年の間はイギリス領西アフリカ全体の主都として機能し,1827年にはアフリカ人の高等教育機関として,のちのシエラレオネ大学の母体となったフーラー・ベイ・カレッジが創設され,西アフリカ各地のアフリカ人官吏や企業家を教育した。1961年に独立したシエラレオネの首都となった。…
【留学】より
…エジプトと南アフリカ共和国を除けば,第2次世界大戦以前にアフリカに存在した高等教育機関はごく限られていた。アルジェリアのアルジェ大学(1879創立),シエラレオネのフーラー・ベイ・カレッジ(1827創立)とガーナのアチモタ・カレッジ(1922創立。ここの場合幼稚園から大学まで擁していた),ウガンダのマケレレ大学(1922創立)がそれである。…
※「フーラー・ベイ・カレッジ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」