世界大百科事典(旧版)内のブリャーンツェフ,A.A.の言及
【ロシア・ソビエト演劇】より
…またスタニスラフスキー演出のオストロフスキー作《熱き心》(1926)やメイエルホリド演出のゴーゴリ作《検察官》(1926)などロシア古典の斬新な読み直しもあり,タイーロフ演出のオニール作《楡の木陰の欲望》(1926)のようなすぐれた翻訳劇も生まれた。またこのころ児童演劇の専門家ブリャーンツェフAleksandr Aleksandrovich Bryantsev(1883‐1961)やサッツNatal’ya Il’inichna Sats(1903‐93)らにより各地に児童劇場が創設され,今日の充実したソビエト児童演劇の礎となった。 1930年代はゴーリキーの新作《エゴール・ブルイチョフとその他の人々》(1931)で始まり,若手劇作家ポゴージン,ビシネフスキーVsevolod Vital’evich Vishnevskii(1900‐51),アフィノゲーノフ,コルネイチュークらも社会主義建設にいそしむ青年像を生き生きと描き,どれも新鮮な舞台作品となった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」