世界大百科事典(旧版)内のブルトン・クラブの言及
【ジャコバン・クラブ】より
…ジャコバン党ともよぶ。初めブルトン・クラブといわれたが,パリに移りジャコバン修道院(ドミニコ会)を本部としたので,ジャコバン・クラブとよばれるようになった。正式名は〈憲法の友の会〉(1792年9月以降は〈ジャコバン協会,自由と平等の友〉)。…
【ブルターニュ】より
…新税の課税をきっかけに起こった1675年の〈赤帽子の乱〉(またの名〈印紙税一揆〉)は,ルイ14世治下の最も激しい反乱の一つであるが,ブルターニュ人の独立意識がここにも色濃く反映している。フランス革命に際しても,ジャコバン・クラブの前身となるブルトン・クラブをいち早く結成するなど,革命の精神に進んで呼応していたブルターニュが,聖職者基本法と徴兵令の施行をきっかけに,1794年,〈ふくろう党chouannerie〉の反乱を引き起こすのも,根強い反中央の観念を背景にしている。 19世紀以降の中央集権化は,言語の面でも教育の面でも,ブルターニュの独自の文化的伝統に対する抑圧を強めた。…
※「ブルトン・クラブ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」