プチャー・チャクリ(読み)ぷちゃーちゃくり

世界大百科事典(旧版)内のプチャー・チャクリの言及

【ラーマ[1世]】より

…タイの現王朝ラタナコーシン朝の創設者(在位1782‐1809)。トンブリー朝のタークシン王のとき,軍最高司令官となりプラヤー・チャクリPhraya Čhakri(のちチャオプラヤーに昇進)の名を賜った。1782年精神錯乱に陥ったタークシンの後を受けてタイ国王に推挙されると,新都をトンブリー対岸のクルンテープ(バンコク)に移した。15年前に滅亡したアユタヤ朝の繁栄の再現を目ざした王は,弛緩した仏教サンガの規律を経律の結集(けつじゆう)によって立て直し,《三印法典》を定めて国内秩序の基礎を固めた。…

※「プチャー・チャクリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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