世界大百科事典(旧版)内のプリンツィプ,G.の言及
【サラエボ】より
…そうした中で14年6月28日サラエボ郊外の大演習が行われ,観兵式の帰り,オーストリア皇太子フランツ・フェルディナント大公夫妻がミリャツカ河畔で暗殺された。第1次世界大戦の発端となったこのサラエボ事件の現場には,ピストルを構えた暗殺者ガブリロ・プリンツィプの足跡が残されている。死の直前に大公夫妻が訪れた市庁舎は,ミリャツカ川に影を落とすイスラム様式とビザンティン様式が混交した美しい建物(1892‐96)で,現在はボスニア・ヘルツェゴビナ科学芸術アカデミーと国立図書館となっている。…
【ボスニア・ヘルツェゴビナ】より
…併合後,ボスニア・ヘルツェゴビナでも中等学校や専門学校の生徒たちを中心とする反オーストリアと南スラブの統一を掲げた〈青年ボスニア〉の運動が活発になる。
[ユーゴスラビア内のボスニア・ヘルツェゴビナ]
1914年6月28日,オーストリア・ハンガリー軍を観閲するためサラエボにやってきたフランツ・フェルディナント大公夫妻は,〈青年ボスニア〉に属するセルビア人学生プリンツィプにより暗殺された。このサラエボ事件を直接の契機として第1次大戦が勃発した。…
※「プリンツィプ,G.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」