世界大百科事典(旧版)内のプロキノの言及
【小型映画】より
…16ミリカメラの機動性を生かしたドキュメンタリー映画(山岳映画,海底探検映画,ニュース映画,科学映画等々)がその取材範囲を飛躍的に広げていったこともある。1930年ころの日本で起こったプロキノ(日本プロレタリア映画同盟)によるプロパガンダの方法として,小型映画が〈家庭的娯楽から階級闘争の武器〉としてとらえなおされたこともその一つで,この方法は土本典昭の《パルチザン前史》(1969),《水俣》シリーズ(1971‐ ),小川紳介の《三里塚》シリーズ(1968‐ )に至るまで,日本のドキュメンタリー映画の歴史を貫くものといってもいいが,亀井文夫の《生きていてよかった》や《流血の記録―砂川》三部作(ともに1956)などは16ミリで撮影されたものが35ミリにブローアップ(拡大)して上映された。ウォルト・ディズニーの長編記録映画《砂漠は生きている》(1953)も,16ミリ(カラー)で撮影されてから35ミリにブローアップされたもので,《小型映画の世界》の著者宇野真佐男は,これを〈ブローアップ映画〉と呼んでいる。…
【プロレタリア映画】より
…つづいて,《幕末五剣録》を構想していた伊藤大輔が,幕末という思想的激動期を迎えて苦悩する良心的知識人ともいうべき幕臣の悲劇を描いた《一殺多生剣》(1929),圧制に苦しむ農民の封建的支配制度に対する反抗を,領主の御家騒動をからませながら〈抵抗のドラマ〉として描いた《斬人斬馬剣(ざんじんざんばけん)》(1929)をつくり,失業武士の生活苦と反抗意識を描いた辻吉朗(1892‐1945)監督の《傘張剣法》(1929),林房雄,片岡鉄兵といったプロレタリア作家が脚本に参加して〈怠惰なる有閑階級〉と〈誠実なる労働者階級〉との対比を描いた溝口健二監督《都会交響楽》(1929)などがつくられた。1928年末に結成された〈プロキノ(日本プロレタリア映画同盟)〉が活動を開始するのも,上記の作品群がつくられたのと同じ29年であった。 〈傾向映画〉の頂点は,翌30年の鈴木重吉監督《何が彼女をさうさせたか》の大ヒットで,東京の興行の中心街であった浅草では5週間続映という当時としては例外的な記録をつくった。…
※「プロキノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」