世界大百科事典(旧版)内のプロクルス,S.の言及
【ラベオ】より
…南部イタリアの家系に属し,法務官は務めたが,アウグストゥス帝により提供されたコンスルの職を拒否したことが伝えられる。法学上の問題にしばしば新しい道を切り開き,また,哲学,弁論術,文法学などに幅広く通じ,すでに存命中より法学者としてきわめて高い評価が与えられ,プロクルス派(プロクルスS.Proculusを中心とするローマ法学の学統)の祖とする伝承も存在する。《法務官告示注解》《解答録》《書簡集》のほか,《十二表法注解》《神官団法論》など広い範囲にわたって400巻に達すると伝えられる多数の著作を残し,その後の法学者にきわめて大きな影響を与えた。…
【ローマ法】より
…この時期においては,法学者は共和政期と同様に私人であり,法学の方法論上も共和政後期ととくに区別されない。この時代にサビヌス派Sabinianiiとプロクルス派Proculianiiの両学派の対立が始まり,2世紀中葉まで大きな意味を有した。両学派はそれぞれ代表者を定め,法学を教授し,ローマ社会に特色的な伝統主義と師弟の結びつきからそれぞれの学説が承継されたが,個別的問題の対立にとどまり,今日では両学派の間に基本的態度において著しい相違は見いだされないといわれている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」