プロスペクト・パーク(読み)ぷろすぺくとぱーく

世界大百科事典(旧版)内のプロスペクト・パークの言及

【オルムステッド】より

…最初,工学を学び農場を経営した後,欧米各地を旅行して社会改良運動の台頭に触れる。都市公園建設を社会改良のための総合手段ととらえて全米に〈公園運動〉を起こし,みずからもセントラル・パーク(ニューヨーク,設計1858)やプロスペクト・パーク(ブルックリン,設計1867)など40以上の公園を計画した。そのほか首都ワシントンの改造事業(1874),シカゴ博覧会の敷地計画(1893),広域緑地計画の先駆例となったボストン都市圏公園系統計画(1896発表)をはじめ,国立公園の設立や自然保護運動など幅広い分野で活躍した。…

※「プロスペクト・パーク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む