世界大百科事典(旧版)内のプロダクション・デザイナーの言及
【映画美術】より
…《風と共に去りぬ》(1939)の画調の統一に貢献したW.C.メンジーズは前者にあたり,ハリウッドの〈プロデューサー・システム〉における美術監督の地位の重要さを認識させた。〈プロダクション・デザイナー〉の呼称はメンジーズに始まる。これに対して,フランドル派の絵画をスクリーンに再現して,歴史映画におけるリアリズムの基礎を築いたとされる《女だけの都》(1935)のジャック・フェデル監督や,パリの下町の風景をそっくりオープンセットに再現して,〈巴里〉のイメージを決定的にした《巴里の屋根の下》(1930),《巴里祭》(1932)のルネ・クレール監督に協力して,複雑なカメラワークや微妙な照明を画面に生かしうる装置を設計したメールソンLazare Meerson(1900‐38)は後者を代表し,美術監督の地位の向上に貢献した。…
※「プロダクション・デザイナー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」