世界大百科事典(旧版)内のプンニーア・ヤート王の言及
【真臘】より
…その後真臘は急速に衰退へ向かったが,1296年に真臘を訪問した中国人周達観は,その見聞録を《真臘風土記》として著した。14世紀後半からタイのアユタヤ朝が真臘を攻略し,1432年にアンコール王都は陥落し,プンニーア・ヤート王は南部へ遷都した。その後真臘の名称は使われなくなり,16世紀後半からは柬埔寨(カンボジア)と改められた。…
※「プンニーア・ヤート王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」