ヘクト,B.(読み)へくと

世界大百科事典(旧版)内のヘクト,B.の言及

【暗黒街の顔役】より

…《犯罪王リコ》(1930),《民衆の敵》(1931)とともに三大ギャング映画といわれ(3作ともアル・カポネをモデルにした作品),その後30年代前半だけで300本に及ぶギャング映画を生む大ブームのきっかけを作った。シカゴの新聞記者出身で,史上初のギャング映画として知られる《暗黒街》(1927)の原作者であるB.ヘクトが脚本を書き,〈ボルジア家の末裔(まつえい)が現代のシカゴに生きている〉という想定のもとに,ギャングの残虐な反社会的行為を鮮烈に描いた(アル・カポネは当時,獄中からこの映画のシナリオをチェックさせろと要求したという)。そのためプロダクション・コード(映画倫理規定)にかかわる問題となり,いくつかの場面を削除し,結末を変え(ホークスは三通りのラストを撮ったという),アーミテージ・トレールの原作小説の題名《国民の恥Shame of a Nation》を映画のサブタイトルにし,さらに,ギャングは社会の敵であるという意味の当局のメッセージまでつけ加えて,2年後の32年に公開された(日本で公開された版もこれと同じもの)。…

【ローマの休日】より

…ヨーロッパを親善旅行中の某国の若い王女(オードリー・ヘプバーン)とアメリカの新聞記者(グレゴリー・ペック)とのラブ・ロマンスを,ローマの美しい観光名所を背景に,軽快にほほえましく描くロマンティック・コメディで,オリジナルストーリーは,〈赤狩り〉のブラックリストに載せられていたドルトン・トランボDalton Trumbo(1905‐76)が,イアン・マクレラン・ハンターの仮名で書いたものである。アカデミー脚本(オリジナルストーリー)賞が与えられたが,近年,インディアナ大学の蔵書のなかからベン・ヘクトBen Hecht(1893‐1964)が1951年に書いた第2稿が発見されたという。 そもそもは,ロマンティック・コメディの傑作として知られる《或る夜の出来事》(1934)をつくったフランク・キャプラ監督の〈リバティ・フィルムズ〉が,1948年にエリザベス・テーラーとケーリー・グラント主演で映画化する企画として,パラマウントに持ち込んだものであったが,製作費の問題で実現せず,それから4年後,ハリウッドがテレビの攻勢を受けていたときに,キャプラからワイラーに企画が引きつがれ,アメリカのマーシャル・プラン政策によってイタリアに凍結されていたパラマウントのドルを使って,ワイラーが製作,監督した。…

※「ヘクト,B.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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