世界大百科事典(旧版)内のヘトゥーム朝の言及
【キリキア・アルメニア王国】より
…この王国の最盛期は初めて王号を採用(1199)したレボン2世の治世期(1187‐1219)で,農業,手工業が発展し,首都シス,港湾都市アヤスは東西交易の中継地として栄え,絵画ではキリキア派を生んだ。レボンの死後王権はヘトゥーム朝(1226‐1341),リュジニャン朝(あるいはルシグナン朝,1342‐75)と移った。13世紀後半からは,間断なくマムルーク朝の攻撃を受け,経済力も王権も衰退の道をたどった。…
※「ヘトゥーム朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」