世界大百科事典(旧版)内のヘルツ,A.の言及
【ポーランド映画】より
…ワルシャワに最初の撮影所がつくられたのは,ポーランドが帝政ロシアから独立を取りもどしてから2年後の20年である。最初のプロダクションを設立し〈ポーランド映画の父〉と呼ばれる監督アレクサンデル・ヘルツAleksander Hertz,古典文学を映画化したリチャード・オーディンスキー,映画独自のスタイルを追求したビクトル・ビエガンスキ,のちにハリウッドの監督として知られたカメラマン,リチャード・ボレスラフスキーなどが足跡を残した。 トーキーの時代を迎えて,年間10~20本の作品を製作していたポーランドの映画産業は,過重な課税や検閲の強化にみられる独裁政権の反動的な文化政策と弱体な資本に起因する商業主義のために停滞する。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」