世界大百科事典(旧版)内のベネディクト式プランの言及
【クリュニー修道院】より
…【今野 国雄】
[美術]
927年献堂の最初のクリュニー修道院付属聖堂については不明。第4代院長マイヨルス(在任948‐994)の下に建てられた,いわゆるクリュニー第2聖堂は,主祭室と両側の小祭室が段階的に並ぶいわゆるベネディクト式プランを特色とし,その形式は修道院改革運動の進展と軌を一にして各地に影響を与えた。1088年には第6代院長フーゴー(在任1049‐1109)によりさらに大規模な,当時のヨーロッパ最大の,ほとんどゴシック大聖堂に匹敵する規模(長さ約182m)をもつ第3聖堂の建設が開始され,2代後のペトルス・ウェネラビリス(在任1122‐56)によって1130年ごろ完成された。…
【ベネディクト会】より
…ヌルシアのベネディクトゥスがモンテ・カッシノで創始した共住制修道会,および彼の妹スコラスティカScholasticaを中心として結成された女子修道会。広義には540年ころからベネディクトゥスが執筆した〈会則〉を採用するすべての修道会の総称。5,6世紀のみぎりイタリアはゲルマン諸王国興亡のさなかにあって政治・経済的荒廃がはなはだしかったが,同時に精神的更生を求める気運も盛んで,あらゆる社会階層から修道士志願者が続出していた。…
※「ベネディクト式プラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」