ベリャーエフ,M.P.(読み)べりゃーえふ

世界大百科事典(旧版)内のベリャーエフ,M.P.の言及

【ロシア国民楽派】より

… 1870年代中ごろには一体化したグループとしては存在しなくなったが,このグループが分解した理由としては,バラーキレフがロシアの楽壇での種々の不幸な事件を通して精神的に不調に陥り,一時的に引退してしまったこと,リムスキー・コルサコフが音楽院の教職に就いたことに対して反対意見があったこと,ムソルグスキーのオペラ《ボリス・ゴドゥノフ》に対するグループ内での評価が一致しなかったことなどがあげられる。80年代には裕福な出版業者ベリャーエフMitrofan Petrovich Belyaev(1836‐1904)を保護者として,リムスキー・コルサコフの周囲に集まった,いわゆるベリャーエフ・グループが彼らの後継者を自任したが,すでにかつての革新性を失い,創作原理の統一的主張のようなものはなくなっていた。【森田 稔】。…

※「ベリャーエフ,M.P.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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