ベルチテの戦(読み)べるちてのたたかい

世界大百科事典(旧版)内のベルチテの戦の言及

【スペイン内乱】より

…バスク地方はイタリア軍部隊の総司令官と独自に停戦条約を結ぶまでにいたったが,フランコは後にこの条約の効力を認めなかった。一方,共和国政府軍は国民戦線の背後をついて勢力を分散させる目的で,マドリード周辺(1937年7月のブルネテの戦)とアラゴン戦線(10月21日のベルチテの戦)で反撃に出たが,すべてむだに帰した。
[南北に分断された共和国]
 37年12月に共和国政府軍が奪回したアラゴン県テルエル市の攻防では,吹雪の中を両陣営とも精鋭部隊を繰り出し,動員兵数は双方合わせて10万人以上にも及んだ。…

※「ベルチテの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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