世界大百科事典(旧版)内のベルリン・ゼツェッシオンの言及
【ゼツェッシオン】より
…次いで97年にウィーン・ゼツェッシオンがG.クリムトを中心として創設されたが,これはJ.M.オルブリヒ,J.ホフマンら建築家,工芸家をも多く含み,オーストリアにおけるユーゲントシュティール(アール・ヌーボー)の中心となった。ベルリン・ゼツェッシオンは99年に,ドイツ印象派の代表者M.リーバーマンを中心として設立され,ドイツ最大の美術組織へと育っていった。ゼツェッシオンの運動は,19世紀末のドイツ美術界における新傾向,すなわち印象主義,象徴主義,ユーゲントシュティールなどが突破口を求めて一つの組織の形をとったものであり,その展覧会には,それらドイツ圏内の新傾向とともに,ゴッホ,ゴーギャン,ホドラー,ムンクといった近隣諸国の革新的芸術も次々と紹介された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」