ベルリン・ダダ(読み)べるりんだだ

世界大百科事典(旧版)内のベルリン・ダダの言及

【ダダ】より

… 一方,同じころニューヨークでは,1913年の〈アーモリー・ショー〉に,《階段をおりる裸体》を出品して反響を呼び,17年レディ・メイドの便器(《泉》と題される)を出品して物議をかもしたM.デュシャン,〈無用な機械〉シリーズで知られるマン・レイ,13年写真家スティーグリッツの画廊〈291〉で個展を開き,18年秋チューリヒに赴きツァラと意気投合する反芸術の闘士ピカビア,騒音音楽のバレーズらがダダ的サークルを形づくっていた。 17年1月ベルリンに戻ったヒュルゼンベックは,フォトモンタージュの名人ハウスマンとその恋人ハンナ・ヘーヒHannah Höch(1889‐1978),戦争中排外主義を嫌って英語風に改名した,政治的フォトモンタージュ作家ジョン・ハートフィールドと弟の編集者ウィーラント・ヘルツフェルデ,軍人とブルジョアを風刺する画家グロッス,ざれ歌詩人メーリングらとともに,18年4月〈ベルリン・ダダ〉を結成した。やがて彼らは,敗戦革命のなかで,反芸術と政治的宣伝を直結させる。…

※「ベルリン・ダダ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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