世界大百科事典(旧版)内の《ベルリーナー・イルストリールテ・ツァイトゥング》の言及
【グラフ・ジャーナリズム】より
…太平洋戦争初期までこの成長は続き質・量ともに隆盛をみるのだが,戦局が行き詰まるとしだいに国策宣伝のみに終始する事態となり,終戦を迎える。欧米の場合,とくに第1次大戦後の経済恐慌のおさまった後のドイツでは《ベルリーナー・イルストリールテ・ツァイトゥングBerliner Illustrierte Zeitung》という写真新聞が生まれ200万部の発行数を誇った。またそれに引き続いて1930年代の半ばごろまでにフランスの《ビュVu》(R.キャパの有名なスペイン内戦の写真などを掲載),イギリスの《ピクチャー・ポストPicture Post》,アメリカの《ライフ》《ルックLook》等が刊行され,グラフ・ジャーナリズムの黄金時代を迎える。…
【名取洋之助】より
…実業家名取和作の三男として東京に生まれ,慶応義塾普通部卒業後,1928年に渡独,独学でカメラの操作を学び,ウルシュタイン社の契約カメラマンとなる。主としてグラフ週刊誌《ベルリーナー・イルストリールテ・ツァイトゥング》に報道写真を発表,32年,同社特派員として帰国して,そのまま日本にとどまった。34年,木村伊兵衛,伊奈信男らと〈日本工房〉を設立,展覧会などで,報道写真の啓蒙にあたった。…
※「《ベルリーナー・イルストリールテ・ツァイトゥング》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」