世界大百科事典(旧版)内のペキンパー,S.の言及
【西部劇】より
…西部劇が西部劇を疑いはじめ,西部開拓史の洗い直しがはじまり,伝説が崩れていく。この傾向に対してハワード・ホークス監督は《真昼の決闘》を裏返しにした《リオ・ブラボー》(1959)をつくり,ジョン・フォード監督はインディアンへの憎しみに生きる男の執念を描いた《捜索者》(1956)をへて,〈事実よりも伝説〉こそが美しかった古きよき西部の終焉(しゆうえん)を描いた《リバティ・バランスを射った男》(1962)をつくり,そしてサム・ペキンパー監督は《昼下りの決闘》(1962)で老ガンマンたちの最後の決闘を描く。古きよき西部へのノスタルジーにあふれたペキンパー監督《ワイルドバンチ》(1969)やジョージ・ロイ・ヒル監督《明日に向って撃て!》(1969)がつづくかたわら,イタリアから〈マカロニウェスタン〉(欧米では〈スパゲッティウェスタン〉)と呼ばれる残酷描写を売物にした変種の西部劇が跋扈(ばつこ)するのも,はるかなる西部の伝説が崩壊してしまった60年代である。…
【マカロニ・ウェスタン】より
…《荒野の用心棒》に続いて《夕陽のガンマン》(1965),《続・夕陽のガンマン》(1966)でセルジオ・レオーネ監督と組んだクリント・イーストウッドClint Eastwood(1930‐ )は,売れない〈三流ハリウッド・スター〉から国際的大スターとなってハリウッドに返り咲き,《奴らを高く吊るせ!》(テッド・ポスト監督,1967),《真昼の死闘》(ドン・シーゲル監督,1969)に主演するとともに,《荒野のストレンジャー》(1972)ではみずから監督もつとめた。また,流血と大量殺戮(さつりく)の暴力描写を極限まで推し進めたサム・ペキンパーSam Peckinpah(1925‐84)監督の《ワイルドバンチ》(1969)などが,〈マカロニ・ウェスタン以後〉のハリウッド西部劇の代表的作品とみなされる。
[その後のレオーネ]
一方,マカロニ・ウェスタンの元祖セルジオ・レオーネは,アメリカにロケしてハリウッドの一流スターであるヘンリー・フォンダを悪役につかった大作《ウェスタン》(1968)をへて,ロッド・スタイガー,ジェームズ・コバーンというやはりハリウッドの二大スターを主演にした《夕陽のギャングたち》(1971)でこのジャンルの頂点を極める。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」