ペリーノ・デル・バーガ(読み)ぺりーのでるばーが

世界大百科事典(旧版)内のペリーノ・デル・バーガの言及

【マニエリスム】より


[マニエリスムの誕生]
 マニエリスムの始源については,ミケランジェロの弟子によってローマに発生したとする説と,フィレンツェの1490年代に生まれたポントルモ,ロッソ・フィオレンティーノなどを創始者とする説とがあったが,今日では,以上に見たように,盛期ルネサンスのすべての局面に同時にマニエリスムの萌芽がみられると考えられている。このうち,時期的に最も早いものとしては,フィレンツェの盛期ルネサンスの様式上の完成者アンドレア・デル・サルトとその周辺に育ったポントルモ,ロッソ・フィオレンティーノ,パルマのコレッジョとローマのラファエロ主義の感化を受けたパルミジャニーノ,ラファエロの弟子ジュリオ・ロマーノ,ペンニGiovanni Francesco Penni(1488ころ‐1528),ジョバンニ・ダ・ウーディネGiovanni da Udine(1487‐1561ころ),ペリーノ・デル・バーガPerino del Vaga(1501‐47),これらと独立してシエナにあってレオナルド風の明暗法をおし進めたベッカフーミなどがあげられる。ミケランジェロの影響はこれらすべてに及んだが,とくにロッソ・フィオレンティーノとポントルモに著しい。…

※「ペリーノ・デル・バーガ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

政府首脳が外国を訪問した際の会談内容や合意事項を記した外交文書。法的拘束力は持たないが,その内容は両国を事実上拘束する。類似のものに共同発表 joint statementがあるが,これはより記録的な...

共同声明の用語解説を読む