ペルー・アプラ党(読み)ぺるーあぷらとう

世界大百科事典(旧版)内のペルー・アプラ党の言及

【APRA】より

…メキシコ革命に影響をうけて発足し,1918年アルゼンチンのコルドバに端を発した大学改革を率いた学生・知識人が主たる担い手となった。30年以降,ペルー・アプラ党(PAP)として,闘争の場がペルー本国に移ってからは,大陸的規模の運動としての性格を弱めたとはいえ,ベネズエラの民主行動党をはじめ,ラテン・アメリカ諸国の民族主義的大衆運動に大きな影響を与えた。 1930年,レギア独裁政権がサンチェス・セロの決起により倒壊するや,ペルー・アプラ党はアヤの帰国に前後して,国の半封建的新植民地的支配体制を打倒すべく戦闘的な大衆運動を展開した。…

※「ペルー・アプラ党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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